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市原市内で夕日や朝日がきれいに見える場所、あるいは恐らくは少数の人しか気づいていないような面白スポットなどを探し、日々、ママチャリで縦横無尽に走り回っています。 若干遠い場所はマイカーで。
永昌寺トンネルの見物を終えた後、坂道を上がってみた。



「霊窟山」と書かれている。
気になる名前だ。



坂道を上がり切ると、左手に寺が見えてきた。

手前の小道は、トイレ付き駐車場につながる歩行者出入口。



そのトイレの前では、なんと仏様がお出迎え。



右のほうには、お不動様もいらっしゃった。



駐車場から出て寺のほうに向かうと、山門の前には大勢の羅漢様がいらっしゃった。
これにはビックリ。
こんな鄙びた寺なのに・・・。



こんな羅漢様も・・・。

 

こんな羅漢様も・・・。



そして、こんな羅漢様もいらっしゃった。



この寺は、西暦1300年ごろ、岩窟に住む白猿が里の人を悩ましていたことを知った名僧が、その白猿を化度したことにより・・・と書かれている。



山門には仁王様もいらっしゃった。



線香立て?は鉢ではなく縄文土器?
何かいわれがあるのだろうか?

ちなみに、本堂にはお賽銭箱が見当たらなかったので、お参り後、山門近くにあった、線香代を入れる箱?に入れておいた。



寺を後にする際、崖下に続く山道を見つけた。

もしかすると、トンネル方面に続いているのかもしれないが、ここも不安を感じたので、降りてはいかなかった。




以上、トイレ前の仏像と山門前の羅漢様が特に印象深かった永昌寺。

駐車場の広さから考えると、近隣の人々は、ここに初詣にくるのだろうか?



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付近をとおるたび、お参りしている宇佐八幡神社。
これで何回目になるだろうか?



今日はなんと、狛犬様の片方だけに耳当てがされていたので、思わずパチリ。。
何か、意味があるのだろうか?
マスクなら分かるのだが・・・。



そして、今日はまじめに石碑にも目を通してみた。
すると、源頼朝ゆかりの神社だとか、鎌倉から25里の距離にあるので廿五里という地名になったとか、館山道建設のため場所を移転したとか、いろいろと書かれていた。
神社に歴史あり・・・である。






能満地区の府中日吉神社に行ってきた。

朱色の鳥居は市原市では珍しい。

 


さすが日吉神社。
狛犬ではなく狛猿だ。
しかも結構大きい。
阿吽の形になっていないのには、何か理由があるのだろうか?





由緒正しそうな本殿。

 

周辺は樹木がうっそうと茂り、本殿横にはこんな立派な木も。
御神木かとも思ったが、表示板はなかった。

 

青柳地区のアピタ通り沿いに「浅間神社」と書かれた比較的大きな看板が数カ所に設置されている。

 

「浅間神社」ゆえ、由緒ある神社なのだろう。
看板を設置していることから考えると、大きな神社かも。

ということで、看板の矢印に導かれ、行ってみた。

すると、なにやら路地の奥にある様子。
これは意外だ。

 

奥に進んでみると、まことにこじんまりとした神社。

 

鳥居の奥は、すぐ、山というか、丘のようになっている。
それが御神体?
それとも古墳?

神社の由緒などは不明だが、規模の割に大きな看板を設置していて、その看板も古びていないところに、定かではないが氏子さんたちの心意気を感じた。


今日は青柳地区を中心にママチャリング。

アピタそばの区画整理された地区には興味がないので、昔ながらの地区の、細くクネクネした道を、適当にウロウロした。

以下は青柳地区にあった若宮八幡神社。
 


そこにいた狛犬は比較的大きく、ガッシリとしていた。

     
 
一方、境内には、狛犬の向こうにちらっと写っている浅間神社以外、龍宮神社もあった。
浅間神社は、他の神社境内でもしばしば見かけることがあるが、龍宮神社は、おそらくは初めて。
なぜここに?



一方、龍の模様がある壺が両脇に置かれているのも印象的だった。
上記龍宮神社と何か関係があるのだろうか?
  
 
  
  
そこから、どこをどう回ったものか、帰宅して地図で復習しても、よく分からなかったが、次に出会ったのが養老神社。
養老川の名前と関係あるのだろうか?



そこにいた狛犬は、割と新しかった。

 

追記)

写真を撮るのは控えたが、狭い地域のアチコチに小さな墓地が点在していた。
覚えているだけで5~6か所。

旧地区との境界付近、区画整理された地区にも、1か所、そこだけが取り残されたようにポツンと墓地があった。

これなど、区画整理時に大モメした挙句、残されたのかもしれないなあなどと、思いを馳せながら通り過ぎたこともあった、今回のツアーだった。



正月2日、総社地区にある戸隠神社から、しめ縄越しに沈む夕日を撮影した。

その時は、狛犬撮影など思いもつかなかったので、鳥居のところで撮影した後は、さっさと神社を後にしたのだが、その後、狛犬にも興味がわき、撮影し始めたため、改めて戸隠神社を訪れた。

以下は神社入口。改めて見ると立派なしめ縄だ。市原市で一番立派かもしれない。



本殿前には2対の狛犬がいた。
よく見ると、奥にいる新しいほうの狛犬は、鞠を左足で押さえている。

 

それではと吽形の狛犬を見ると、こちらは子供の狛犬を押さえている?遊んでいる?保護している?



他の神社を確認してみると、このようなタイプは海士有木方面にあった八幡神社だけだった。
これは小さなサプライズ。
以降、このタイプの狛犬は、吽形のほうも撮影することにする。

それ以上に驚いたのは、神社の敷地内に、他の神社が沢山あったことだ。
ウイキペディアによれば、「各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった」とのこと。

そういうことか。それで、この地区を惣社(総社)というのか・・・と納得。

以下は浅間神社と、ここにもいた狛犬。





以下は、境内にあった案内図によれば、左が祓戸大神、右が金刀比羅宮。



そして、なんと上総伏見稲荷神社もあった。



そこにいた狛狐。
右側のは、何をくわえているか、よくわからない。
京都伏見稲荷の狛狐であれば、巻物、玉、稲穂、鍵をくわえていたのだが・・・。
 


左側の狛狐がくわえているのは巻物だと分かる。



その横の天神宮にも狛犬がいた。





戸隠神社がこれほどの規模の神社だったとは驚いた。
さすが、元国府の地に設けられた神社だけのことはある。

そう思いつつ、神社を1周してみたところ、このような場所もあった。
宅地開発で削られたためだろうか?
とすれば、残念なことではある。



ちょっと長い石段を上がったところに鳥居があり、鳥居の手前と向こう側に1対ずつ狛犬がいた。

  

これは鳥居の手前の狛犬。

 

これは鳥居の向こう側の狛犬。
古そうなので、代替わり前の狛犬?

 

なぜか、市内の神社にある狛犬が気になり始めたので、今日から神社全景と阿形の狛犬の2ショットをテーマに追加することにした。

阿形に限ったのは、特段の理由はないが、口の開き方がそれぞれ違うのではないかと思ったこと、また写真数を制限してブログの容量を抑えるためだ。
 
まず始めは、1000年以上の歴史を有する飯香岡八幡宮から。

歩道に立ち、正面から神社を撮影していると、歩道の右手から歩いてきた年配のご婦人が神社の前で立ち止まり、神社に正対して一礼。
その後、何事もなかったように、左手のほうに歩いていった。

一方、境内に入ってみれば、お宮参りの家族1組。
 
新テーマ撮影開始日に、こういった、日常的に見られるであろう2つの風景にタマタマ出会ったのも、神様のお導きだろうか?
  
 





安須地区にある道の駅周辺の地図を見ていて、クネクネ上がる道の上に区画整理されたような整然とした道があるのに気づいた。

団地だろうか?
それとも何かの施設?

気になって行ってみた。

すると、クネクネ道のふもとに鳥居があるではないか。
後日、詳しい地図で調べたところ、日枝神社とのこと。

思いもかけない発見ゆえ、これは階段を上るしかない。
そう思い、上ってみたが、階段は非常に急で、しかも踏み石の幅が狭く、
上がりづらいこと、この上ない。

苔のついたパイプ手すりを両手でつかみ、やっとこさ上がれたが、こんなにキツイ階段は
初めてだった。

ちなみに区画整理された場所は畑になっていて、他には何もなかった。

 





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